海沿いのカーブを君の白いクーペ 曲がれば夏も終わる… Gakky Junichi
曖昧で、名前すらつけることのできない空を見上げながら雨の気配をさぐる日々。かつて、 われわれはそのような日々を「夏休み」と呼んだ。1983年の夏の終り。134号線のロング・ドライブに疲れてうとうとしかけたとき、ビーチサイドFMにセットしていたカー・ラジオから稲垣潤一の『夏のクラクション』が聴こえてきた。進行方向左手に2階建ての白い洋館が見えた。渚ホテルだった。右手にはきらめく海面から不機嫌そうに立つ浪子不動。そうすることがあらかじめ決められていたようにクルマを停めた。そして、渚ホテルのペーブメントでUターンした。怪訝な表情を浮かべるベルボーイをバックミラー越しに見ながら、再び134号線に出て七里ガ浜駐車場をめざした。
力を失いはじめた夏の終りの太陽を反射してコマ落しで輝く凪いだ逗子の海を左手に見ながらカルマンギヤ type14を走らせる。
20歳の誕生日。5歳年上のガールフレンドはGloverallのネイビー・ブルーのダッフルコートとBarneys New Yorkのタイクーン・カシミアのマフラーとNORTH FACEのペッカリー革の手袋をプレゼントしてくれた。そして、イグニッション・キーを私のブレザーコートの胸ポケットに滑りこませた。
パウダー・ブルーの1955年式フォルクスワーゲン・カルマンギヤ type14。彼女の愛車だ。彼女のいたずらっ子のような表情がよみがえる。
「えっ?」
「いいの。わたしの家はおカネの置き場所に困るくらいの金持ちだから。兄貴からちょっとゴキゲンなクルマをお下がりでもらっちゃったし。ね? だから、気にするのはちょっとだけにして。そのかわり、助手席にはわたし以外女の子を座らせちゃダメよ。わかった?」
「...うん。わかった。」
「それと、名義変更の書類は全部そろってるからね。名義変更その他の費用分の印紙も。グローブ・ボックスに入ってる。駐車場は借りてある。駐車場代の心配はいらないわよ。あとはあなたが印鑑証明と車庫証明を取って陸運局に行くだけ。一緒に行ってあげるけど。」
「ありがとう。」
ガールフレンドは鼻にかわいらしい皺を7本寄せ、「セーフティー・ファーストでお願いしますわよ、カミカゼ・ドライバーさん。ナビゲーションはおまかせあれね」とおどけて言った。いまから思えば、彼女のおどけ方は『Driving Miss Daisy』に出ていたジェシカ・タンディが演じる主人公のMiss Daisyみたいだったが、『Driving Miss Daisy』が公開されるのはそのときから11年後だ。
アクセルペダルをゆっくりと踏みこむ。RUFチューンのポルシェ356のエンジンとギアボックスに換装されたカルマンギヤ type14は腰の座ったレスポンスを示す。アクセル開度に敏感に反応するウェーバーのキャブレターの甲高い吸気音が小気味いい。
走行性能にかかわるフレームとパワーユニットと制動系と駆動系以外、エクステリアとインテリアをすべて未使用の純正部品でレストレーションされたカルマンギヤ type14は1955年当時と変わらないコンディションを保っている。走りの性能については少なく見積もっても当時の倍以上だった。まさに、モンスター・カルマンギヤだ。
景色が少しだけ速く流れはじめる。来たときとは道も風も陽射しも潮のにおいもちがって感じられた。走りなれた道はいつもより滑らかで、風はビロードで撫でられているみたいに心地よかった。陽射しはビル・エバンスがおどけて弾く『South of the Border』みたいに軽快で健やかで、潮のにおいはわずかにSEX WAXの甘いにおいを含んでいて、細胞のひとつひとつに沁みわたった。
ウィンドウを全開にし、エアコンを切り、ヴォリュームを上げる。それは1983年の夏に別れを告げるために必要な儀式のように思えた。5年のあいだずっとガールフレンドの指定席だった助手席は空っぽだった。
ナビーゲーター不在。途方もない欠落と欠如と喪失と空虚が襲いかかってくる。車の中には彼女がつけていたフレグランス、Eau de Givenchyの残り香 ──。
彼女は逗子海岸から小坪トンネルを抜けて材木座海岸につづくカーブが好きだった。いつつの夏がすぎた海沿いのカーブ。小坪トンネルを抜けて視界に材木座海岸が広がると彼女はいつも歓声をあげた。Eau de Givenchyの香りがする無邪気な彼女が好きだった。
完璧なレストレーションとメンテナンスが施された白いシルビアCSP311。すぐ上のお兄さんから譲りうけた彼女の愛車だ。
1回やや短く。2回短く。インターバルは正確に0.35秒。
それが彼女のクラクションの鳴らし方だった。いつでもどこでもだ。
雨の日も風の日も雪の日もピーカンの日も台風が来ている日も雷の夜も寒いから2人でいるときも心さびしいときも。湘南でも伊豆でも苗場でも志賀高原でも第3京浜でも東名高速でも中央高速でも首都高でも山下公園通りでも元町でも本牧でも青山通りでも神宮外苑でも渋谷のパルコ前の公園通りでも内堀通りでも外堀通りでも晴海通りでも銀座でも。
ガールフレンドはTime Keepの天才だった。彼女に心拍数を計測されたことは142回。彼女は趣味をたずねられると即座に「時間と宇宙森羅万象を計測すること」と答えた。「君の瞳に乾杯」と言うと「わたしの瞳の直径はわかってるの? 睫毛の長さは? 眉毛の太さは?」とたたみかけてくる。セックスの回数と持続時間と射精した精液の量はすべてパウダー・ブルーのコノリー革の手帳に記録されていた。
ガールフレンドは毎日欠かすことなくジョギングがわりに素数の階段を昇り降りした。週に1回は複素数の螺旋階段も。月に1度は虚数の鏡の前でヒンドゥー・スクワットを42回1セットを30セット。ガールフレンドの体脂肪率はひと桁だ。
素数の階段を頂上まで登りきり、最後は転げ落ちる夢を1日おきに見ると、鳩尾にアッパーカットを叩きこまれたシーズーのような表情をして言った。好きな言葉はふたつ。Festina LenteとAs time goes by/「悠々として急げ」と「時の過ぎゆくままに」だ。
彼女は古今東西のすべての命数法と数詞を諳誦できた。「宇宙森羅万象の究極の答えは42よ」というのは彼女の口ぐせだ。ガールフレンドが『時をかける少女』の話を始めると必ず日付がかわるまでつづいた。
「ヨシヤマカズコは足がおそい。鈍足もいいとこよ。あんなんじゃ時間とかけっこできない。アインシュタインについても言いたいことはいっぱいあるけど、きょうのところはやめとくわ。時間がないから。本来、ないはずの時間に追いかけられるなんてバカバカしいにもほどがあるけど、ないからこそ追いかけられるのよ。そんなわけで、わたしは生まれてからずっと忙しい。」
遠い日の冬の夜、「世界が孕むある種のやさしさ」についてガールフレンドが話していたことを思いだす。
銀座線の車内で外国人観光客とうちとけたホームレスとおぼしき老人が、彼らとの記念撮影を求められたときに寂しそうな笑いを浮かべながら野球帽で顔を隠す場面に彼女は遭遇する。
ガールフレンドは思う。「老人が顔を隠した事情についてその日出るはずだった月のように世界にやさしさが満ちていればいい」と。
思い出し、涙がはらはらといくらでも出た。聴いていたキース・ジャレットの『My Wild Ilish Rose』のせいでもないし、回収できなかった「すっかり冷えきった爪先」のせいでもないし、「森のひと」と30年早く出会えていたらと考えていたからでもない。涙の理由らしい理由がみつからないので、今日のところは「世界の共同主観的存在構造」のせいであるということにしておこうと思う。
世界はユークリッド幾何学かつリーマン幾何学平面上にあるニュートン力学が支配する空間にいくぶんかの混沌が織りこまれたユークリッド幾何学並びにリーマン幾何学またはニュートン力学によって大方の説明がつく非ユークリッド幾何学かつ非リーマン幾何学平面上並びに非ニュートン宇宙でできあがっているが、きっといつの日か「お住まいは?」と尋ねられて「非ユークリッド幾何学かつ非リーマン幾何学平面上並びに非ニュートン宇宙」と大手を振って答えたいとガールフレンドは真顔で言ったことがある。そのときは、彼女の言っていることの意味はわからなかったし、いまもわからないが、ユークリッド幾何学とリーマン幾何学とニュートン力学について勉強するきっかけになった。かくして、私は現在、非ユークリッド幾何学かつ非リーマン幾何学平面上並びに非ニュートン宇宙に生きている。
1983年の夏を境にガールフレンドの白いシルビアCSP311をバックミラー越しに見ることもインターバル0.35秒のクラクションを聴くことも心拍数を計測されることも『時をかける少女』の話とアインシュタインの舌に生えた苔の話を聴くこともなくなった。以来、今日まで、間延びしてひどくのっぺりとした時間がすぎている。いくらFluctuat nec mergitur, Festina Lente, As time goes byとつぶやいても、1回に65刹那が詰まっているFinger SnapとTut-Tutをセットにして1日中やっても七里ガ浜駐車場レフト・サイドで強い南風に吹かれても事態はなにひとつ変わらなかった。変わらないどころか、悪くなるいっぽうのようにも思える。
「あなたは平気で傷口に塩を擦りこむのね。それだけじゃなくて反律のナイフでさらに傷口を広げて、その傷口に牛喰いが飲むような強いジンを1時間あたり842cc流しこむ。」
ガールフレンドはそう言って、大きな瞳から大きな涙をひと粒だけこぼした。あの大きな涙の粒は1時間あたりどれくらいの量が流れたんだろうか? 彼女は自分の流した涙ひと粒の量の平均値と総量を把握できていたんだろうか? 涙の理由と涙の平均値と総量はともあれ、別れに涙はつきものだ。特別なことではない。
ガールフレンドの涙のゆくえを最後まで見届けなかったことを後悔しているとき、クラクションが聴こえた。
1回やや短く。2回短く。インターバル0.35秒。
彼女のクラクションだ。しかし、バックミラーを見ても周囲を見まわしても彼女の白いシルビアCSP311はない。クラクションは前後左右のいずれでもなく、上から聴こえた。それも近くではなくて、はるか彼方の天空から。あらぬ彼方から。遠くで弾けた泡みたいな音で。クラクションの背後には無限大の太鼓の通奏低音。ドンドンドン パチン ドンドンドン パチン ドンドンドン パチン ドンドンドン......
気のせいか? それともただの空耳? 夏の終りの134号線を走っているのに、寒くて暗い宇宙にただ1人取り残されているような気分だった。稲垣潤一が「
夏のクラクション Baby もう一度鳴らしてくれ In My Heart──。夏のクラクション 風に消されてもう聴こえない Leave Me Alone, So Lonely Summer Days... 」と歌っていた。驚いたことに、ビーチサイドFMは『夏のクラクション』を3回立てつづけにかけた。風の歌はちっとも聴こえないし、風向きはまったく変わらないし、風は答えらしいことをなにひとつ孕んでいない。どうかしてる。本当に世界はどうかしてる......。
ガールフレンドの涙の理由もわからず、彼女の涙のゆくえを見届けることも回収することもないまま39年の歳月が流れ、そのあいだに数えきれぬほどの秋やら冬やら春やら夏やらがすぎていった。3年目で数えるのはやめた。たぶん、39年のあいだに季節は4242回くらい通りすぎていったのではないかと思う。芽吹き、花開き、実を結んだプルメリアは420を超えているはずだ。420のプルメリアの中には伝説になったものもあるかもしれない。「赤いスイートピーの化身であるプルメリアは小麦色のマーメイドになり、風の使者に恋をした彼女が流した涙は太平洋に流れこんだ。裸足の季節になると白いパラソルを抱えて青い珊瑚礁を駈けぬけるダイアモンドの瞳を持つ彼女のことを思いだす。彼女の甘い記憶は渚のバルコニーの蒼いフォトグラフ・ルームに残っている」という伝説に。
多くの人々と出会い、多くの友だちができ、少しの友だちが残った。神風タクシーのドライバーをはじめて2年めの冬にはネズミ交通チューズ・チーズ地区の選TAXIの竹野内枝分運転手と首都高中央環状線でカーチョイスをやって死にかけたり、カスミガセキシロアリ交通のペルーの元反政府ゲリラの役所コージーと赤坂見附のコージーコーナーのコーナーをどちらがコージー冨田らしく抜けられるかをジャンボ・シュークリーム42個と古事記の原本と松尾嘉代の赤い腰巻きを賭けて古式ゆかしくコジキ競争したり、風の歌と羊博士と世界の終りとクレタとマルタと208と209を探す旅の途中で何度も不思議な経験をしたり、ムネーモシュネーに記憶術を伝授したり、World Order Foundationに監視されたり、謎の組織のメンバーに尾行されたり、ハレ・クリシュナの熱心な信者ともつ焼き屋で飲んだくれたり、クリシュナ意識国際協会日本支部にハレー彗星を直撃させたり、浅草の新門辰五郎に目の敵にされたり、薔薇十字団とイルミナティとフリーメーソンと少年探偵団の争いを仲裁したり、年老いたバーニーズ・マウンテンドッグに言い寄られたり、光の速度を42回超えたり、宇宙の果ての向こう側を見たり、エヴェレットの多世界解釈を実体験したり、重力場を作りだす技術によって「量子異常による対称性の破れ」の研究を飛躍的に発展させたり、その過程でヒッグス粒子とグラヴィトンを発見したり、ディラックの海の青いほとりでナポレオン狂のナポレオン・フィッシュと権平狸好きのゴンベッサ・コンテッサのキメラを釣り上げたり、瞬時にイースター・エッグ/隠しコマンドを見つけだす裏ワザを開発したり、三社祭の宮入りで一之宮から丸金の若衆を引きずり下ろしたあとで鳳凰の尾羽を3本毟りとったり、富岡八幡宮の千貫御輿に押しつぶされそうになったり、非破壊検査のために烏骨鶏の卵の上で三点倒立したり、ジョン・タイターにAPPLE Lisa 4200をプレゼントした。そして、酒の味をおぼえ、酒の飲み方を学んだ。酒について学んだのは「酒を飲むと酔う」ことと「酒は飲んでも飲まれてはならない」ことと「酒は売るもの。飲ませるもの」ということのみっつだ。
どれほど酒を飲んでも、たとえJ's Barの床一面を厚さ5cmのピーナッツの殻で覆いつくし、25mプール1杯分のビールを飲みほしても、若芽の芽吹きの少ないさびしいキタコブシの林で、長いあいだぶら下がったままだれにも気づかれずに時折吹く風に揺れている若い女を回収することはできないし、どこにも行けないし、約束の地にはたどりつけないし、失われた時間を取りもどすことはできない。それが1986年4月26日1時23分(UTC+3)時点において得た結論だった。
ガールフレンドは幼稚舎から大学/大学院まで慶応だった。大学院で量子力学と100万年時計の研究をしていた。博士論文は『チェシャ猫とシュレディンガー・キャットと箱猫は美しい友情を結べるか?』『現在/過去/未来の意味をわかっていない渡辺真知子は迷宮のクリームリンスに迷う』の2本だ。
正真正銘のお嬢様。ファッションや音楽、言語感覚を初めとして、およそ生きていくうえで必要なセンスがとても良かった。人生の日々の景色が絶景になることは約束されたも同然であるように思われた。
勉強ができるのは当然だが、頭の質がすごく良かった。クール・ビューティの典型だった。まちがっても、大酒にまみれても「鼻息」などという言葉を口にしなかったし、手に入れたものや食べたものや飲んだものや観たものや聴いたものについて自慢したり、見せびらかしたりしなかった。アイドルがグレース・ケリーというのは出来すぎだったが。
ガールフレンドの自宅は神宮前2丁目にあった。一般的な一戸建て住宅5個分くらいありそうな豪邸だった。彼女の父親は不動産業を中心に飲食店や娯楽施設、サウナなどを手広く経営していた。すべて一代で築き上げたそうだ。ある経済誌に取り上げられたこともある業界の風雲児だった。
ガールフレンドの家には何度か行ったが、いつも居心地が悪かった。彼女の父親とは一度も会ったことがない。「どうせ、ほかの女のところよ」と彼女はこともなげに言った。なるほど。よくある話しだ。
ある日、待ち合わせ場所の表参道の交差点交番前に彼女は息をきらしてやってきた。待ち合わせ時刻を15分も過ぎていた。帰る寸前だった。たった15分で? そうだ。私はこどものころから時間にきびしいのだ。待ち合わせの5分前を過ぎて相手が現れなかったら帰るのが私の流儀である。世界には平等も公平も存在しないが、「時間」だけは古今東西を問わずにだれでもに平等公平に用意されている。
「ねえねえ。聴いて聴いて。竹内まりやがさあ ── 」
「なんだよ、いきなり。竹内まりやだあ? 知るか! それってうめえのか?」
「うまいうまい。トップスのカレーとチョコレート・ケーキくらいうまい。」
「そ、そうなのか。じゃ、喰ってみる。」
そして、私はガールフレンドから『UNIVERSITY STREET』のLPレコードを借り、聴き、竹内まりやの虜になった。ガールフレンドの言うとおり、トップスのカレーとチョコレート・ケーキ5年分くらいうまかった。
青山のブルックス・ブラザース本店で芥子色のシャツを買った。9月でもないのに『SEPTEMBER』を口ずさんだ。「SEPTEMBER」の発音に関してはいいなと思った。真似して発音したらL.L.のアメリカ人教師に褒められた。伊勢佐木町のヘンリー・アフリカでピーチパイを食べた。ただ甘いだけで不思議でもなんでもなかった。
『UNIVERSITY STREET』は『涙のワンサイデッド・ラヴ』が特に良かった。せつないというのはこういうことでもあるのだと知った。そして、ああ、女の子というのはこんなふうにものごとを感じ、受け止め、考えているのかと驚くと同時に感心もし、女の子にもう少しやさしく接しようと思った。思っただけで実際にはこれっぽちもやさしくはしなかったが。
『UNIVERSITY STREET』は実にいいアルバムだった。ジャズ・ミュージックと古典楽曲とわずかばかりの上質なポップスと上滑りなしA ( ) Cなしのロックのほかはほとんど聴かなかった私には新鮮だった。ただ、竹内まりやのスカした英語の発音については今にいたるもむかっ腹が立つ。それ、舌巻きすぎだから。舌先を上顎にくっつけすぎてるから。言いたいことは山ほどあるがもはやどうでもいいことだ。
山下達郎とのことやら吉田美奈子の心情やらソニー・ミュージックの三浦との混みいった顛末やらについても言いたいことは山ほどあるけれども、すべては時間の波間を漂う流れ木のように、あるいは岸辺で踏む足跡のつかない涙のステップのように跡形もなく消えた。それでいい。それでよかったんだ。
いまでは、当時の泥沼での肉弾戦のごときゴタゴタを知る者はいない。当事者ですらおぼえてはいないだろう。あるいは忘れたふりをしているかだ。そのことについてだれも文句は言えないし、だれも文句を言われる筋合いはない。すべてはなかったも同然だ。
時間は大抵の場合残酷だが、ある種の人々にとってはやさしくもある。救いでさえあることだってある。そんなふうにして色々なことが過ぎていき、色々なことがなにごともなかったように終わっていけばいい。もはや現役ではないんだしな。ただし、「え? とっくに終わったことじゃなかったの?」と嘯く無神経な輩には口には出さないが猛烈な憤怒と憎悪と強蔑をおぼえていることをそこはかとなく表明しておくことにする。無神経/鈍感な輩には、この憤怒と憎悪と強蔑の強さと深さの意味は473040000000000000秒かかってもわかるまいが。(この世界には都合よく THE END も FIN も用意されちゃいねえんだよ! 人は皆、志半ば、途中で死ぬんだ! おぼえとけ!)
さて、ガールフレンドとの最後のやりとりだ。
「あなたのことは大好きだけど結婚はできないの。」
「わかってるよ。」
「え?」
「おれが日本人だからだろ?」
「 ── 知ってたの?」
「うん。」
「ごめんね。」
「おまえがあやまる理由なんかこれっぽっちもないよ。」
「でも ── 」
「デモもストライキもヘッタクレない。おれたちは現代版のロミオとジュリエットだと思えばいいだけのことだ。どうってことはない。いまどき、セブンイレブンのレジ横に山積みしてあるような話だ。」
言ったあと、3サイズと1/2大きいレイバンのサングラスがあればいいのにと心底思った。この店には新しい恋人と来ないだけじゃない。だれとも来ない。真夏の葉山でも一色海岸でも森戸海岸でも逗子海岸でも材木座海岸でも稲村ヶ崎でも七里ガ浜でも江ノ島でも茅ヶ崎でも会いたくない。写真はきれいさっぱり捨てる。電話番号はこの場で忘れる。そう言いたかった。本当の気持ちとは裏腹に。でも、言えなかった。どうしても言えなかったんだ。歯を食いしばったり、拳を握りしめたり、眉間にしわを寄せたり、顔をしかめたり、目をきつく閉じたり、深呼吸したり、街の雑踏に耳をすましたり、「大化の改新、虫5匹」とつぶやいたり、因数分解を暗算で解いたり、原子周期表を諳んじたり、『方丈記』と『草枕』と『堕落論』を暗唱したけど言えなかった。『My Foolish Heart』のリフの一節を口笛で吹くのが精一杯だった。気まぐれなんかじゃない。朝には消えてしまうひと夜の夢でもない。愚かなりわが心......
この一件以来、正真正銘の金持ちも成り上がりの金持ちもきらいだ。「おまえたちが富を所有する分、おれの分け前が減るじゃねえか!」というのが私の言い分である。至極まっとうで的を射ていて正鵠のど真ん中をぶち抜いていて健全で生産的でスピリチュアル・ユニティな考え方だ。
そんなふうにしてきょうまで生きてきた。生きてきたことであった。ときに、だれにも気づかれないように涙のステップを踏んで。2000tの雨に打たれながら悔し涙やら嬉し涙やら悲し涙やら嘘涙やら強がり涙やらを2000tくらい流して。おかげで、涙はいくら流してもいつか乾き、やがて涸れることを学んだ。2000tの雨もいつかやみ、空を見上げて雨の気配をさぐる日々が来るのだということも。
なにごとからでも学ぶことはできるし、強い意志を持ちつづけるかぎりにおいてあらゆる厄介事や艱難、難関と対峙することができる。この際、厄介事を克服し、難関を突破したかどうかはそれほど重要な意味を持たない。それは二次的な問題にすぎない。涙はいくら流してもいつか乾き、やがて涸れることを学んだおかげで大抵の嘘泣きには騙されなくなった。そればかりか、彼あるいは彼女が嘘泣きをするに至った背景と事情を思いやり、「無駄だからやめろ」と諭すことさえできるようになった。
いまではトップスのカレーもチョコレート・ケーキも食べない。彼女もそうだといい。本当の気持ちを伝えても過ぎ去った季節や時間を取り戻せやしないことはわかっているが、彼女の住む街と私の住む街では冬はどちらが先に来るのかは毎年気になる。彼女と最後に会ったときに着ていたダッフル・コートと彼女が誕生日にプレゼントしてくれたレジメンタル・タイはワードローブの奥深くで眠ったままだ。もはや目覚めることもあるまい。
その後、彼女からは1度だけ青いエアメールが届いた。雨で文字がにじんでいた。にじんでいたのは雨のせいだけではない。手紙の最後には私のことを思い出した回数の合計と年平均数が記されていた。ちょっとうれしかった。なんてマイ・フーリッシュハートな人生。もはや涙の涸れ果ててしまった私のかわりにだれか泣いてくれ。
あした晴れて、いい風が吹いたら、134号線をドライブしよう。窓を開け放し、たっぷり風に吹かれよう。封印していた『夏のクラクション』を繰り返し聴こう。そして、「1983年の夏」を終わらせよう。39年ぶりの『夏のクラクション』はどんなふうに聴こえるかな。「1回やや短く。2回短く。正確にインターバル0.35秒」だったら少しうれしいんだけどな。
小坪トンネルを抜け、カーブが終わって材木座海岸が見えたら2022年夏の湘南の海に気持ちのいい挨拶をしよう。稲村ジェーンにはそっとウィンクしよう。物の怪のようなオニユリが群生して濃密な甘い香りが立ちこめる稲村ガ崎の突端の断崖から由比ガ浜を見下ろすというのもわるくない。
強い南風が吹きつける七里ガ浜駐車場のレフト・サイドで波を見よう。世界中の名もなき波乗り野郎たちのために、ときどき、いいオフショアが吹けばいい。少し遅いけど、セブンイレブンでビールと白ワインとブロック・アイスを買って2022年夏のウェルカム・パーティをやろう。珊瑚礁でピッチャー・サイズのジョッキをひとつ借りてブロック・アイスを全部ぶちこみ、白ワインでみたそう。
やがて、ずっと遠くで夏のクラクションが鳴り、僕らの夏は終りを告げる。そのとき、39年を経て1983年の夏も終りを告げる。そして、2022年の夏がはじまる。
この夏はどんなクラクションが聴けるかな。あの頃のように聴こえたらいい。1回やや短く。2回短く。正確にインターバル0.35秒で。風の歌なんか聴こえなくてもいいから、風向きなんか変わらなくてもいいから、風の中に答えなんかなくてもいいから、いい風の吹くいい夏になればいい。もちろん、彼女にも。『ぼくのなつやすみ』のラストシーン、青い空に向けて飛翔するロケットに涙するすべてのひとにも。ついでに、これを読んでいるあなたにもね。
海沿いのカーブを君の白いクーペ 曲がれば夏も終わる…夏のクラクション
Baby もう一度鳴らしてくれ In My Heart
夏のクラクション
あの日のように聴かせてくれ 跡切れた夢を揺り起すように
夏のクラクション
風に消されて もう聴こえない
Leave me alone, So lonely summer days...夏のクラクション 稲垣潤一 (1983)やがてクラクションが鳴り、夏が過ぎて、ひんやりとした秋の風が空っぽのコパトーンのボトルの転がっている海辺やペーブメント・ローズの植えこみやプラタナスの枯葉舞う街路や賑わう大通りや避暑地のあかりやシャッターの下りた店の角や消された静かな駅の伝言板や陽よけやデッキチェアや夢の痕跡や一緒に帰れなかった二人やかなしい恋をうらむ女の子やいつまでもバカな娘でいたかったOLやシーズンオフの心の中を吹きぬけても、いつかまたどこかで夏のクラクションは鳴り、僕らの夏はやってくる。そう。きっとまた、いつかどこかで。(シーズンオフの心には)